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母フランシスのシチリア料理のにおい、母方の親戚たちの抱きあったり頬をつねったりキスしたがる衝動、金曜日は肉食を避けること、あけっぴろげな感情表現、近所から聞こえるシチリアなまりのイタリア語で子どもになにか叫ぶ声そういったものが、リッチーのイタリアの血に刻まれた。 見た目もそうだつた。
ダニー・オズモンドふうに横分けされたふさふさの黒い髪は、ブラシをかけたシャギ!のじゅうたんのようだつた。 肌は、母が使っている輸入もののエクストラパージン・オイルの暑の底とおなじリッチー・コーラーオリーブ色で、目は、公園の木の茶色をしていた。
眉尻は、フットボールのフィールドから運びだされてゆく選手の腕のようにだらりと垂れているものの、上下に動いて情熱を表現する、とても表情豊かな眉だった。 リッチーが少年のころは、本を読んでいるときでさえもいつも眉は動いていた。
父はそれとは反対の性格だった。 父とリッチーは、ほどこしも悲嘆も受けつけない勤勉で正直なドイツ系の血を引いていた。
「もっとほしければ、もっと大きくなれ」という信念をもっとも重んじた父は、リッチーにそれを執勘にたたきこんだ。 自分がドイツ系であることに誇りを持ち、この「イタリア系」地域のそれをいうなら世界じゅうのだれにも、ドイツ系だから劣っているといわせるなと、父は忠告した。
リッチーは、本を読んだり、テレビの歴史番組を見たりすることによって、ドイツ系としての根源的なプライドをすでに身につけており、同時に、ひとがドイツ人のことをどう見ょうと、ドイツ人は自分たちの向上心をつねに自負していることに気づいた。 いちばん印象深かったのはたぶん、父が少年のときに崇拝していたという、近所に住んでいたシ1ガルさんの話だろう。
ドイツ移民のシーガルさんは、ドイツのとあるサーカス団で怪力男として働きながら何度かアメリカを訪れたことがあり、ヒトラーが国を支配するようになったのちアメリカに渡ってきたという。 シーガルさんはリチャード・コーラーに、愛する祖国のことを語った。
職人が数々の美しいものを生みだした土地、一流の科学者や芸術家のいる園、古い伝統を持つおとぎ話に出てくる村のある園、静かな誇りに満ち、高い労働倫理を持つ国のことを。 シーガルさんの話を聞く前は、リッチーは、自分のルーツについて考えたことがなかった。

話を聞いて、彼はドイツ人となった。 父リチャードはたまに、子ども時代に戻ったかのように、シーガルさんの思い出にひたるときがあった。
そんなとき、幼いリッチーに、父がシーガルさんを自分の英雄としてあがめていることが伝わってきた。 そして、自分の英雄である父があこがれるほどの強さを持つ男がいるという思いは、少年を圧倒した。
リッチーは、ドイツの歴史のなかでもとくに第二次世界大戦にテーマをしぼって本を読むようになった。 テレビ番組でしばしばドイツ人が卑劣な悪党として描かれていることに気づいた彼は、ドイツの名を傷つけたのはヒトラーというひとりの怪物なのに、なぜ人々はドイツ人をそこまで悪人だと考えるのかがわからなかった。
戦前のドイツについて、また、ヒトラーが台頭してきた状況について書いた本を読んだ。 自由研究や読書感想文の宿題が出るとかならず、テーマをドイツ側の視点にしぼって書いた。
コーラーという名字は、ドイツ語の「炭鉱夫」ということばからきたものだ、と彼は近所の人々に話した。 さらに歴史を勉強するにつれ、自分の考えることは、同級生たちの考えとはちがっていることに気づいた。
戦争や戦闘の物語を好きな同級生は多かったが、兵士の人生に興味を持つのはリッチーだけのようだつた。 友人たちがぜったいに考えないような風変わりなことを、彼はいろいろと思いめぐらした。

掩蔽壕に足どめされた兵士たちが書いた手紙のこと、どうして兵士は自宅のちょっとしたことをやたらに懐かしがるのか、戦闘機パイロットの子ども時代のこと、息子が戦死したと聞いたときの家族の気持ちなど。 戦場で絶命した兵士の写真を本で見たとき、兵士たちの故郷の町にはその本がないといいがと思ったものだった。
リッチーの父は身を粉にして働いていたが、週末にはかならず子どもたちとの時聞を作るようにした。 とはいえ彼は、キャッチボールしたり、学校劇に参加したりするタイプの父親ではなかった。
リッチーが父と一緒にいたいのなら彼はそれを強く望んだ父のやりかたでやるしかなかった。 リッチー・コーラーボート遊びだ。
もやいを結ぶときや、クロビームーゲルの手すりを磨いているときによく体がふるえたのは、もしうまくできなかったら父に「役立たずめ!」などと罵声を浴びせられるのがわかっていたからだ。 だが、きちんとできると、父は大喜びした。
ボートに乗るときに、父は彼に大きな仕事をまかせた。 そしてリッチーはじきに、父の「やればできる」どんなことでも、専念すればできないことはないという考えを自分のものにしていった。
沖に出ると、七歳の少年のすでにひらかれた目の前に世界がひらけた。 リッチーの父は魚釣りが大好きで、釣り人らしく、自分だけの場所に行くパスポートがわりの数字を記入したノートを持っていた。
彼らはたびたび沈没船のポイントで釣りをした。 そして釣竿をながめながら、父は息子に、この海の下に多数の船が沈んでいるのは、地球上でもっとも敵勢力の密集する海域で活躍したすばらしい追跡戦闘艦である、ドイツ軍のUボートのおかげだと話した。

宇宙空間などの異質な環境を征服する夢を抱くリッチーにとって、自分の住む場所のすぐそばで、数十年前にそんな潜水艦が動きまわっていたというのは、テレビのSF番組以上に驚博すべきことに思えた。 親子でボートに乗ってロッカウェイ湾から出てゆくときに見える、ブルックリンとブリージー・ポイントから等距離の海中に建設された、城のような円柱について彼は尋ねた。
第二次大戦中、Uボートをジャマイカ湾に侵入させないよう、陸軍工兵軍団がそれを使って鋼鉄製のネットを張ったのだと父は説明した。 「信じられるかい、リッチー?」父はいった。
「ドイツ軍はすぐそこに来たんだよ。 ほら、あそこにベラザーノ橋が見えるだろ。
Uボートはそこまで近づいたんだ」リッチーはそれを知っておおいに喜んだものの、友だちには話さなかった。 彼にとって、アメリカの玄関先にUボートがやってきた事実は、自分や父のような釣り師だけが分かちあうべき秘密だった。
父から鋼鉄製ネットのことを聞いたあと、リッチーはUボートの模型を買いにいき、ネットで捕獲されたときを再現して色を塗った。 父の海図を調べてみて、ロードアイランド州の寺フロック島沖に〈Ut853〉が沈んでいるとわかってひどく驚いた。
おまけに沈没船リストには、ぞくぞくする赤い字で「警告不発弾あり」と併記してあった。 Uボートがこの地にやってきてから四半世紀以上たってもなお、なにか生々しいものが感じられた。
リッチーが八歳のときのある晴れた暖かい目、父は、水上スキーをしに、ブルックリンの沖にあるミル内海のデッドホース湾へ連れていってくれた。 その狭い湾内で、ボートで水上スキーを引っぱった。
リッチーがスキーですべっていたとき、ふとロープがゆるんで、海に落ちてしまった。 父がエンジンを切ったのだ。
そしてUターンして戻ってきて、「ボートにあがれ!ボートに乗るんだ!」と叫び、リッチーを水から引きあげた。